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605:1900年-2 Date: 2002-01-31 (Thu) 『1900年(1976)』の後半を観に行った。先週の前半の上映時は超満員だったため、今回もそうかと思ったら、多くの人は挫折したらしく今回はそれほどでもなかった。Arley も来なかったし(笑)。 前回の超満員の時には気付かなかったんだけど、今日は偶然、ペーター・メルクリの隣に座った。去年の7月7日に書いたように、妹島スタジオでアシスタントをしていた時、夏学期の最終好評に彼をゲストとして招いていたため、お互いに面識があった。 いい場所に席がないのでウロウロしていて「ココでいいか」と思った場所に座ろうとし、「ちょっと失礼」と言って前を通り抜けようとしたら、彼がメルクリ氏だった。僕はまったく気付かなかったんだけど、向こうから「やぁ、久しぶり!」と声をかけてくれた。 彼は、それなりに年期の入った渋い男が大好きな僕にとっても、ちょーシブいオジサン。どおりで女子学生にもモテモテなワケ。女の子達が、みんな寄ってたかって彼と話をしたがる。オレもそんなオジサンになりたいトコロ。クリント・イーストウッドもそうだけど、やっぱ男は顔に刻み込まれたシワがあってナンボの世界でしょ。 彼とは、少し映画の話とか、最近仕事をやめたばっかでいま探してる最中なんだ、というようなことを話す。 | |
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604:ジャパンィングイッシュ Date: 2002-01-31 (Thu) 下に付け加えて僕がこの15年ほどずっと思っているコト。 英語は、いいか悪いかに関係なく、世界中で最も使われている言語です。ということは、それだけ「いい加減な言語なんだ」っていうことです。事実、「私は英語を話します」という非英語圏の外国人の、一体どの程度の人々が「まともな英語」を話すでしょう? よく、「日本人の話す英語は“ジャパンィングイッシュ”であって“イングリッシュ”じゃない」というようなもっともらしい話を聞きます。 では、中国人の英語はどうでしょう?韓国人のは?あるいは英語がほぼ「母国語」とされているフィリピン人の英語なんか、はっきり言って何を話しているのか、ほとんど理解出来ません。インド人の英語もなかなかスゴイし。 例に挙げるのが東洋系だけじゃ満足できないなら、イタリア人の英語は?スペイン人の英語は?トルコ人のは?ギリシア人のは?いずれも負けず劣らず相当ヒドイですよね。 さらに中央ヨーロッパ寄りで、ドイツ人が話す英語は?確かに「聞き取りやすい英語」を彼等は話すけれど、でもそれってつまり彼等の英語もまた「たどたどしい」って証拠じゃないの?フランス人の英語は舌っ足らずの思いっきりフランス語訛りだし、一方「うまい」とされてるオランダ人の英語も、ただスピードが速く「せわしない」だけで、抑揚もなくて、やっぱりウマイ英語とは言えない。ロシア人の英語はロシア語にしか聞こえないし(笑)。 言いたいことはこういうこと。 いつ誰が言い始めたのかしらないけど、少なくとも英語の世界では、ありとあらゆる「方言」が入り交じっていて、もはやどれが「正しい」英語なのか、なんて、誰にも言えないってこと。つまり、英語ほど「壊れた」「ムチャクチャな」言語はないってコト。 だからちょっとくらい発音や表現に自身がなかろうが、気にせず話すべきなんです。何故なら、これだけ英語が一般的に普及してしまった世界において、「まともな英語」を話す国民は、実は完全なマイノリティだからです。 “ジャパンィングイッシュ”だろうがなんだろうが、話さなきゃ始まらないんです。 | |
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603:英語 Date: 2002-01-31 (Thu) 外国語ができるかどうか.....本当は、そんなことはどうでもいいはずなんです。 「彼女はフランス語ができるから.....」 「彼は英語が堪能で.....」 こういう腐れ話を本当によく耳にします。もう15年以上もの遥かに以前から、僕がどうしても理解できないでいるのは「外国語が出来る=知性がある」と見做されている、という現実です。これで「稼いで」いる人を多く知っています。あるいは僕が直接知らずとも、これが「商売になるらしい」という現実を知っています。 しかしいいですか? 「知性」ってのは文字どおり「知性」なのであって、「言葉の能力」という意味ではないんですよ。 つまらん。 何語だろうが、ただの言葉です。日本のみんなが話している日本語と、別に何も違いません。つまり、多くの日本人にとっての「あこがれの」英語も、現地では、知性のカケラもないような人ですら喋っているただのたんなる「地方言語」だ、ということです。意味分かりますか? 言語ってのは、それを「喋れる」というだけで評価されるような、そんなシロモノじゃあない、ってことです。「アンタが何を喋るか?」それが問題なんですよ。 仮にものすごく「流暢に」ペラペラ・ペラペラと英語なりフランス語なりロシア語なり中国語なりを喋れる人がいたとしても、その人の話す「内容」がどうってことなきゃ、その人は「どうってことない人」なんです。そういうことです。 かなり昔からそうなんだけど、日本がホントにどうしようもなく島国だなと感ずるのは、まさにこういう時です。つまり「外国語ができる」というただそれだけのことで、その人には「知性」がある、と見做されているような(しかもそれがいつまで経っても変わらないような)事態を見るにつけ、です。 僕に言わせりゃ、仮にその人が、あなたの言いたいことを、微妙なニュアンスまで含めてほとんど細大漏らさず完璧に別の言語に美しく翻訳できるほどの能力があったとしても、「その人自身」の言うコトや考えているコトがどうってことないなら、その人はどうってコトのない、ただの翻訳機械にすぎない、ってことです。 でも、だからこそあえて言いたいのは、もし、あなた自身にちゃんと考えていることがあって、それに意味があると確信しているならなおさら、そういう人には「最低でも」英語をちゃんと話してもらいたい、ということです。何故って、そうでないと、国際的にはいつまで経っても、日本人ってのは「別に大したアイデアを持ってるワケでもない、ただの、寿司を喰う、つまんない、オリエンタルな、ワケわかんない生物」に過ぎないからです。 というワケで、これは、去年の夏前に貝島桃代がこっちに来たとき、彼女とイロイロ話す際に僕が彼女に「しつこく」言ったことでもあるんだけど、大学でポストを得ている皆さんに向かって言いたいコトは次の通りなんです。 せめて、大学という場で仕事をしている人達は、相手が仮に日本人だけで構成されるグループであっても、学生なり周りの人々と英語で話す機会を増やして下さい。具体的には、貝島さんも、塚本さんも、手塚さんも、吉村君も、皆さん、英語はできますよね?だから、少なくともゼミでのディスカッション中だけは「すべて英語」とか、ぜひそういう風にして下さい。 しばらくの間は、それによって取りこぼされる細部が増えるだけかもしれないけれども、でも、それでも「続けて」ください。お願いします。どっちみちここ数年、日本語だけを使った「通常の」コミュニケーションですら、どうせ大した「成果」とやらは、僕は聞いたコトがありません。だから別に何も事態は変わりません。 これは単に僕の希望なのですが、でも、そういう地道な努力がなかったら、哀しいかな、日本はいつまで経っても何も変わりません。英語が「上のランクの言葉だ」なんて言ってるつもりはまったくありません。そうじゃなくて、善悪を越えて、あるいは是非を越えて、腐れ「英語」が、国際的に「標準的」な言語であり、ますますそうなりつつある、という事実は変わらない。皆さん「ジェネリックなデザイン」に興味を持っているわけでしょう?だったら、ジェネリックなツールとしてのジェネリックな言語(=英語)に対して、もっともっと関心を持って下さい。 それともう一つ。 「外国語ができる=知性がある」なら、なおさら、大学という場所では、外国語で会話がなされていて然るべきだ!(大学が知性を育成する場所である、というならなおさら)。 | |
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602:Magnolia : The Shooting Script Date: 2002-01-30 (Wed) 病み上がりの昨日、久々に街(特に本屋)をブラついていていいモノを見つけた。旧市街というか Niederdorf と言う、まぁワリと観光客がたむろするゾーンに、映画関係専門の本屋が一件あるので僕はたまに行くんだけど、そこに『マグノリア』の脚本が置いてあったんです。出版されていること自体は実は前から知ってたんだけど、わざわざ通販で買うほどでもないかと思ってたのに、手に取ってみたら欲しくなっちゃうじゃないですか。しかも安いし。 ザザッと目を通したてみたトコロ、僕らが知っている、最終的に映画として完成されているものとは「かなり」違っているようですな。 | |
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601:病気 Date: 2002-01-30 (Wed) アメリカ軍って、あれだけ大量殺戮をしておいて、まだ引き続きしつこく人殺しをやってるんですな。この事件なんか、どう考えたって殺人以外のなにものでもないもんね。ホントにどうしようもない。ここは一つ、アメリカ式の「ハンバーガー精神分析」にならって診断を下したいところですな。 主体としての国家アメリカは、その黎明期に激しい搾取と虐待を受けたと主体自身が堅く信じているところのトラウマがあり..... チッチッチッ。その虐待者というのは、他ならぬ君自身なんだよ。 | |
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600:今日のテレビ Date: 2002-01-29 (Tue) テレビのチャンネルをザッピングしていると、Kabel 1 で『ブラック・レイン(1989)』をやっていた。この映画を見たことがある人なら分かると思うけれど、この映画には英語による会話の部分と日本語による会話の部分があり、映画の主旨とその展開から言って、多くの観客に対して、どちらかの部分が理解しづらい(できない)ままの状態で提供されている必要がある。例えば、僕はこの映画のアメリカ製の DVD を持っているが、一部の非常に重要な部分を除いては日本語で会話されている部分に対する焼き込み字幕が入っていない。焼き込み字幕というのは、この映画のように複数の言語が入り交じる映画の場合に「外国語」の部分を母国アメリカの観客に理解してもらえるように最初から入れてある字幕のことなんだけど、この DVD にはその字幕がほとんど入ってないワケ。つまり日本語を理解できない多くのアメリカ人の観客にとっては、この映画の中のかなりの会話(日本語)が意味不明なままで話が進行するように設計されている。なお、日本人の観客にとってもそれは同じのはずなんだけど、日本で劇場公開された当時、普通のアメリカ製の映画同様、英語で交わされるすべての会話の部分に日本語字幕が付けられていたのかどうか?までは僕は知らない。でもコンセプトから言えばそうでなければオカシイのだけど.....とにかく、ドイツ軍対連合軍といった構図で展開する戦争映画なんかで、どちらの軍が喋っている会話もほとんど理解できてしまう、という状態であってはならない、というのが、『ブラック・レイン』の特徴。 で、Kable 1 というのはドイツの放送局なので、英語の部分はドイツ語に吹き替えてあるんだけれど、日本語の部分は日本語のままにしてあったワケです。もとの英語版で焼き込み字幕の入っている一部の会話を除いては。 さて、ちょっと前置きが長くなってしまったんだけど、では、この映画をテレビで吹き替えて放送しようとした場合に一体どういう事態が起るかというと、日本側からの主要な登場人物の内の数人(高倉健、若山冨三郎、神山繁など)は、そもそも日本語も英語も話す役柄として登場しているため、ドイツのテレビ局がドイツ語に吹き替えた格好で上述の状態を再現しようとすると、彼等日本人出演者達には、どうしてもドイツ語と日本語の両方を話してもらわないと困るワケです。で、このあたりに吹き替え作業に苦労しただろう跡がよくみられてナカナカ面白かったんだけど、例えば、比較的台詞の少ない若山冨三郎の場合だと、彼が日本語しか使わないシーンでは若山自身の声を吹き替えずにそのまま残してあるワケです。部分的に。ところが、彼が日本語も英語も使うシーン.....例えばマイケル・ダグラスとサシで話す場面.....でそれをやってしまうと、同じ人物の声のはずなのに、吹き替えのドイツ語(元は若山が英語で話している場面)と若山自身による日本語とで声が違ってしまう、という珍妙なことが起ってしまう。だからこれを避けるため、ドイツ人(?)の声優に、ムリヤリ日本語のセリフも言わせて録音してあるんですな。シーンが離れていれば、それほど声の違いも察知されずに済むけれど、一続きのシーンの中ではさすがにマズイですからね(っていうか、それじゃあ誰が話してるのかワケが分からなくなってしまうから)。というワケで、高倉健とか神山繁のセリフは、ほとんどどのシーンも日本語とドイツ語両方を話さねばならないので、すべてドイツ人(?)の声優が喋っていたワケです。ま、ドイツ人(?)の声優の方々もきっと苦労されたんでしょうな。 で、日本語の分からないドイツ人がこれを聞くと「彼等(声優)はよくやった」と思うのかもしれないんだけど、僕は日本人なので「彼等の努力は認めるがオカシサを感ぜずにはおれない」ワケですな。神山繁は役柄も杓子定規な人物なのでまぁいいとしても、特に高倉健とか若山冨三郎みたいな渋い日本人俳優が渋い役柄を演じつつたどたどしい日本語を話している、っていうのを見ているのはなかなか笑えてしまうワケです。具体的には、ぽえ山さんのゴノレゴが話す日本語みたいというかフランス語みたいというか。 で、一番笑えたセリフは、イッチョマエに仁侠の世界を分かったようなつもりでいるアメリカ人(マイケル・ダグラス)が言う生意気に向かって、ヤクザの大親分である若山冨三郎が吐くセリフ。 「殺したろか、このガキゃ」 ヤクザの大親分が思いっきり巻舌でドスを利かせて言うはずのヒトコトがゴノレゴ風ですからね。どうしてものけぞってしまうワケです。 放送が終わってチャンネルを代えたら、今度は 3 sat で『サムライ・フィクション(1998)』の放送が始まったトコロでした。というわけで、偶然にも日本モノが連チャン。こっちは吹き替え無しの字幕放送。これはこれでドイツ語の放送としては珍しい方。 | |
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599:嵐 Date: 2002-01-29 (Tue) 先週の木曜日の午後4時か5時頃、なんとなく体調が変だということに気が付いた。そう、ちょうど下の記事に書いた、映画を観に行く少し前頃のこと。少し様子はおかしかったんだけれど、まだはっきりとした症状も出ておらず熱もなかったため、具体的にどういう風に変なのか自分でもよく分かってなかった。で、この前からチョクチョク書いている通り、ごく最近、再び無職の身になってしまったものだから、それでガラにもなく精神的に参っちゃってるのかな、意外に繊細なオレ.....という風に理解していた.....んだけど、結論から言うと、原因はまったく別のことだった。 とにかく映画から帰ってきた後から具合がどんどん悪く、熱っぽくなり、あちこちの節々がガクガクし始めたため、その翌日の金曜は一日中寝ていたんだけど一向によくならなかった。続けて土曜もほとんどずっと寝ていたのに、良くなるどころか少しづつ悪くなっていっているようにすら感ぜられ、いよいよこれは絶対におかしいと思って気にしていたところだった。 あまりに寝すぎていて土曜の夜にはすでに眠れなくなってしまっていたんだけど、クシャミも出始めるようになって、辛くてますます寝れずにいた朝方、はっきりと「これが体調の悪い原因だ」と分かる出来事が起った。外が何だかうるさいなぁと思っていたら、知らない内に雨が降っていて、風がとても強く、これがどんどんどんどん強くなっていった。それに伴ってクシャミの方もどんどん激しくなって行った。しまいには、外はまさに台風が直撃している真っ最中のような状態になり、完全に暴風雨だった。つまり今回の体調の悪さは、前からときどき書いていた「雨アレルギー」だった。今までいくら雨が降っても、スイスではアレルギー反応が出たことはなかったのに、ついにそれが出ちまった、というワケ。 僕のこの奇妙な「雨アレルギー」なんだけど、もう少し正確に言うと、おそらく「急激な気圧の上昇に対するアレルギー」に違いない、ということが経験上ほぼ判明している。「気圧の低下」には反応しないらしい。もっとも雨というのは、普通は、気圧が(急に)上昇するときに降る.....ここを読む人のほとんどが多かれ少なかれ「理系」の人々だろうから、このへんの理屈を説明する必要もないと思うけど.....ので、必然的に雨とセットになるワケだ。 というワケで、何でこんなに体調が悪いのか、原因が分かって気持ちはスッキリしつつ、しかしアレルギー反応そのものは未だかつて経験したことがないほどの激しいピークを迎えて最悪、という矛盾した状態で日曜日を過ごした。幸いこの暴風雨が去った後は天候も元に戻ってゆき、それに伴って体調の方も徐々に回復。月曜の夜にはほぼ回復した。 というワケで、雨アレルギー。上に書いたようなことが原因であるため、空気が綺麗かどうか、乾燥しすぎているかどうか、そういうことに一切関係なく起ります。なかなかあなどれない。おかげでこの週末の数日間、完全にダウンさせられていた。 ところで、余談なのだけれど、この週末に起った暴風雨。北部ヨーロッパ全域を襲ったかなり大規模なものだったらしく、スイスはまだマシだったようです。それでも、セスナ機が吹き飛ばされてひっくり返っている写真なんかが地元紙に掲載されていました。しかし、スイスで台風を経験するとは思いもしなかった。しかもこんな季節にねぇ。 | |
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598:1900年 Date: 2002-01-24 (Thu) 今日は『1900年(1976)』の前半を上映するので、またまた Film Podium Studio 4 へ行った。後半は一週間先なので来週また行くことになる。この映画は上映時間が異常に長くて(5時間以上もある)、リリースされた当時、興行上の問題になった(それ以前に、その状態でよくリリースしたと思う)。ただ、今回ここでは2度に別れて上映されるので、料金は他の映画に比べて倍の勘定になる。映画館は再び超満員だった。心なしかイタリア系の人間が多かったような気がするけど、この映画館で初めて、日本語を話す観客に会った。ちょうどたまたま僕のすぐ後ろに席を取った人が、お年を召した日本人の女の人だった。 この映画を観るのは、自分の記憶では今回が4回目になる。残りの3回は全部日本で観た。しかしやっぱり絵が美しいなぁ.....。 ちょうど家を出ようとする前に、久々に Arley が携帯電話にメッセージを寄越して来たので「これからベルトルッチの映画を観に行くんだけど君も来るか?」と聞いたら「じゃあまた別の時に電話する」と言ってたのだけど、彼女も結局映画に来ていた。映画が終わった後に会ったら、彼女は目を真っ赤にしていた。こっちはカッチョ悪いので、会う前にトイレで鼻をかみ、顔を洗っておいたので助かった。アイリッシュ・パブで軽く世間話をしながら、一杯だけスタウトを飲んで別れた。 | |
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597:A2B 行きは中止! Date: 2002-01-24 (Thu) 少し前に書いた Swissbau だけど、そこで開催されている A2B というイベントに明日行こうかと思っていたんだけどヤメ。だって入場料が320スイス・フラン(=2万5千円くらい!)だとか抜かしやがるもんだから。インチキして学生のフリしたとしても、それでも160スイス・フランも取られる。電話口のオバハンは「この金額は一日フリーパスの料金で、昼食から飲み物まですべて込みなんですよ。」とか説明しやがったけどアホか。そんな金があったら、女の子と食事に行く方が絶対にいい。ワインをボトルで頼んだって、まだおごってあげられるし、うまくすると二回もデートできる。一体誰をターゲットにしたイベントなんだろ? | |
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596:中村ケンゴ Date: 2002-01-24 (Thu) 年末に中村ケンゴ君から、彼のカタログに寄せるちょっとした原稿を書いてくれ、と頼まれていたんだけど、少し前にそれを入稿した。このカタログってのは、近々大阪の graf ってトコロで開催される予定の彼の個展を目指した少数限定出版物らしい。ってなワケで、もし興味があって、かつ、機会があったら目を通して下さい(←宣伝)。 その大阪の graf なんだけど、東京(代官山)の北川一成が率いる GRAPH の大阪ブランチだとばかり思い込んでいたオレって一体??? ## 北川一成は関西出身者なので、当然のごとくそうだと思い込んでました! ## しかしそれにしても北川一成はウェブ上では隠れているなぁ.....なんで? | |
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595:カモ Date: 2002-01-23 (Wed) 昨日はまたしてもシュールな日だった。朝からボスと超シュールな話題について話し、よくお世話になった経理のおばちゃんや秘書のおばちゃんに挨拶をしに行き、大学を去った。 夕方、フロリアン・リークラーのレクチュアがあるのでもう一度大学に戻る。レクチュアまで少し間があるので、加藤君に会おうと思ってクリスチャン・ケレツのスタジオを訪ねると、以前の学生が居ていろいろな話をした。 レクチュアの前に茶をシバキながら、加藤君と『マルホランド・ドライブ』の件で一悶着。彼もすでに観たらしい。お互いにかなり意見が分かれた。なかなかオモシロイ。こりゃもう一回観なきゃいけないな(笑)。 で、そのレクチュアなんだけど、これがおっそろしく退屈でまったくつまらない。それに一体何と言えばいいのか分からないんだけど、見せてくれるスライドの写真が、なんだかヒドイのばっか。下手クソな写真っていうか、何を見せたいのか分からん写真ばっか。被写体に魅力がないからか?いやそれもあるだろうけどそれだけじゃないはずだ。とにかく写真もそうだけど、全体的にプレゼンがモーレツにヘタクソな人だな、と思った次第。 夜、久々にピーターん家を訪れ、ビールを飲みながらよもやま話をする。ピーターが壁に立て掛けてある絵を指して「この絵は誰が描いたか?」って言うんだけど、僕は何故か当てた。彼のおとっつあんの描いたモノらしいんだけど、定年後の第二の人生として絵を描き始めたんだそうだ。しかしこれがただの素人画家の描く物とは思えない、独特のセンスがあるもので驚いた。色使いや構図の印象から言うと、カンディンスキーとシャガールの間くらい(カンディンスキー寄り)。で、この印象は的を得ているらしくて、彼のおとっつぁんの最も好きな画家はカンディンスキーなんだとか。あーびっくりした。僕の両親や身のまわりの人には絶対に起こらないだろう第二の人生。 帰宅途中、自分の家の前で友達に電話して立ち話をしていると何やらあっちいったりこっちいったりウロウロしている怪しいヤツ。電話を終えて中に入ろうとしたとき、そいつがいきなりこう言う。 「君はここの住人だね。僕もこの2階に住んでるんだ。ところで君50フラン(=約3500円)貸してくれないか?明日必ず返すから。いやね。いま何故か銀行のカードが利かないんだよ。お金を返すまで信用のためにCDプレーヤを担保に渡すからさ。」 「おい、ちょっと待て。いきなり見ず知らずの人間に50フランなんて貸すヤツいると思ってんのか?CDプレーヤなんかダメだ。お前のパスポートとかパーミッションとかその類のモノを寄越せ。」 「じゃあ、逃げやしない証拠に、僕の部屋を見せるから着いて来て。」 なるほど、アパートの建物への鍵も部屋の鍵も両方とも持っていた。で、名前も聞いたしアパートの契約書も見せたので一応信用してやることにし、たまたま財布に入っていたので50フラン貸してやった。無かったら貸してない。ただ、もう少しそいつを知っておいたほうがいいと思ったのと、かなりヘンなきっかけではあるが、今まで同じアパートの他の住民と挨拶以外で具体的に知り合うなんてコトがなくこれが初めてだったので、その晩、そいつの部屋でビールを飲むことになった。そいつの冷蔵庫にはビールが2本しかなく「君ビール持ってないか?」っていうので僕のを持ち込んだ。途中からそいつのガールフレンドもやってきて、3人でワケの分らん話をさんざんした。自分の部屋に戻ったのは夜中の3時頃だったんじゃないかと思う。 現在、お昼の1時半を過ぎたあたり。まだ返しに来ない。やっぱカモられた? | |
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594:マルホランド・ドライブ(すでに3度目) Date: 2002-01-21 (Mon) 今日も『マルホランド・ドライブ(2001)』を観に行って来た。立て続けに3回も同じ映画を観るために映画館に足を運んだことになるけど、これは同じ映画を何度も繰り返して観る習慣のある僕ですらかなり異例のコト。さすがに、もうしばらくは観に行かないだろうと思う。他の人の意見も聞いてみたくてウズウズしているのだが。なお、一回目と二回目に行ったときは、それぞれ知り合いに出会った。やっぱりこの街は狭い。 しかし主役のナオミ・ワッツはなかなかいいなぁ〜〜。かなり気に入った。初めはちょっとブリブリくらいの初々しい可愛い娘ちゃんとして画面に登場するけれど、後半はホントに同一人物か?と問いたくなるほど壊れていくし、途中で信じられない表情も見せる。『ブルー・ベルベット(1986)』でサンディ役のローラ・ダーンが見せた、あのゴム製のマスクのように変形する泣き顔に匹敵するか、それ以上だと思う。もう一人の、全身からエロエロ光線放ちまくりのラウラ・エレナ・ヘリングの方がいい、っていう人もいるかもしれないけど、でも僕にとってはちょっとババくさい(でも役にはハマってるが)。 「顔」ってことで言うと、若い映画監督アダム・ケッシャー役のジャスティン・テローってのは、どうもリンチ映画の顔をしていない気がする。そこがポイントだ、っていう気もするし、そうじゃない気もする。とにかくどこかで観たコトのある日本の芸能人に似ている気がするんだけど.....黒ブチ眼鏡のせいかな? それにしても、冒頭の「超平面的」なダンス・シーンだけはやっぱりワカラン。こればっかりは意味不明。しかもその途中から画面を埋め尽くす、主役達の亡霊のようなヘンテコリンな映像も。 ナオミ・ワッツのファン・サイト | |
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593:ロリータ Date: 2002-01-20 (Sun) 今日はいつもよく行く映画館で『ショート・カッツ(1993)』を上映するのでそれを観に行った。さらに、現在、同映画館ではスタンリー・キューブリックを特集中で、今日のプログラムとして『ロリータ(1962)』をやっていたので、これも続けて観た。『ショート・カッツ』は超満員、『ロリータ』もほぼ満員、という珍しい状態だった。この映画館はいつもそうなのだけれど、観客の年齢層がバラバラで興味深い。 ちなみに、僕がしょっちゅう足を運んでいるこの映画館 Film Podium Studio 4 というところは、チューリヒ市の文化局(?)が出資・運営している映画館で、民間の他のロードショー館とは違う、独自のセレクションで毎月の企画を組み、配給会社にとらわれない番組構成で上映プログラムを組んでいる。しかも気が利いているのは、これが街のど真ん中の非常に便利なところにあり、かつ、役所が経営しているからといって、超マイナーな同じプログラムばかりを延々と繰り返し上映し続けている、というようなことはまったくない、という点だ。 もう一つの、僕がよく足を運ぶ映画館の XENIX も同じく公営らしいんだけれど、上記の映画館とこの映画館では、それぞれ微妙に異なる特色を打ち出しながら、互いが互いを意識しあうような運営がなされているが、誰がどう見ても、経営のコンセプトから企画の趣味や実際の企画の組み方まで、かなり共通している部分がある。この XENIX もやはり街のど真ん中にあり、僕の家から歩いて3分の距離にある。おそらく、どちらの映画館の運営にも、映画に造詣の深いマニアな同じメンツが関わっているんだろうと思うし、また、それぞれの映画館のスタッフ同士が、頻繁に意見交換をしながら互いに刺激しあっているように見える。 単純に、もし日本でこういう機関が存在したと想像して、絶対に日本ではあり得ないだろうと思われる点は、例えば70年代インディペンデンス系のアメリカ・ホラー映画の特集を XENIX でやった、ということを以前に書いたように、現実にそんなネタも用いられている、という点だ。つまり、描写される内容や対象に関係なく、映画そのものを一つの文化のジャンルとして見ており、そのことが、事前に起こるかもしれない内容の自主検閲みたいなものから保護している。その証拠に、XENIX では以前にラス・メイヤーの特集すら組まれたが、知らない人のために書いておくと、ラス・メイヤーというのは、60年代の後半から70年代にかけてのフリー・セックスやドラッグ・カルチュアと大いに関係のあるサイケデリックなポルノグラフィを代表する作家で、「ヴィクセン」という単語が即「デカパイ」を連想させる(というより現在ではヴィクセン=デカパイを意味する!)ほどまでに、ヴィクセン・シリーズを連発した人物である。他に XENIX では昨年の夏イタリア製ゲイ映画の特集なんかもやったけれど、こういう企画もおそらく日本ではあり得ないだろう。 もちろん、限りなくポルノに近いもの(今日、ラス・メイヤーの作品は、性が主題であるとは言え、決してポルノには見えない。というのも、普通の商業映画では、当時のメイヤー作品よりも、もっと露骨に性表現をしているものがいくらでもあるから)を上映してみせたり、あるいはホラー映画やゲイ映画、あるいはクエンティン・タランティーノ作品ですら取り扱う範囲に入れているのは、市が、市民に対して自らのリベラル度をデモンストレーションするためでもある。だからこそ、いわゆるホントのポルノは上映しない(上述のラス・メイヤーなどは、すでに70年代を代表する「表現者」として認められてしまっている)。 さて、『ショート・カッツ』は、まだ DVD がリリースされていないために家で観ることができないので観に行ったワケだけれど、一方の『ロリータ』は DVD も持っているし、日本にいたときから VHS も持っていて、それこそ暗記するほど繰り返して観ている映画の一本だ。また、昨年の11月には、テレビ局の TCM のキューブリック特集でヘビー・ローテーションされていたこともあり、3週間ほど立て続けに毎週2回づつくらいのペースで観た(笑)。それでもスクリーンで観るのは実は初めてだったのだ。 『ショート・カッツ』に関して言うと、ま、スクリーンで観るのはこれも初めてなのだけれど、やっぱりイマイチ散漫な感じがしてしょうがない。確かに以前に50が書いているように、僕が愛して止まない『マグノリア(1999)』と比較すると、物語の断片化の度合いと、登場人物相互の関連性に関してはより密に示されている。でもそれぞれの登場人物各人の描写が弱い。登場人物相互の関連性を示すことは、時として、映画の図式を示す目的以外の目的がない。その意味では、同じロバート・アルトマン作品で言うと、僕は『プレイヤー(1992)』の方が、そのあたりはよく出来ていると思うし、ちょっとイヤミったらしいとは言え、冒頭のもんのすごい長回し(←まだ計ったことはないけれど、それでも記録的に長い!)は特筆に値すると思う。だけど個人的には『マグノリア』でポール・トーマス・アンダーソンが設計・実現した超濃密な長回しの作る空間の方がさらにスゴイと思うのだけれど。 ところで、どういうわけかキューブリック・ファン達の間でも『ロリータ』の評判はあまりよくないらしい。この事実は、個人的には以前からどうしても理解できないでいる。 確かに、日本の社会的文脈で(しかもちょうど僕くらいの中年男が)『ロリータ』はいいよぉ〜などと真顔で言うと、間違いなくヤバイ人だと思われかねないところがある、ということくらいは僕も知っている。しかしこの映画を観たコトのある人なら分かるかもしれないけれど、「ロリータ」という言葉から連想されるような通俗的なシーンは、この映画には「一切」ない。 キューブリックって、やっぱり本質的にヒネクレているなぁと思うのは、普通そうだと想定されるような題材に対して、そういうステロ・タイプを受け入れることをハナっから拒否するような表現方法を使う、ってトコロなのだけれど、それは『ロリータ』に関しても同じ。当時はヘイズ・コードによる制限もあったのかもしれないけれど、それよりも、とにかくこの主題を「それっぽい演出」を一切用いずに表現しようとしている、っていうのには感心させられる。 しかも、ナボコフの、あの鬱陶しい小説を読んだことのある人なら分かると思うけれども、とにかく自堕落で、ナルシスティックで、だらしない文体と構成に加えて、文字どおり猥褻でしかない小説のハンバート教授が、この映画の中ではもっと複雑に描かれている。これをナイス中年のジェームズ・メイスンが緻密に演じているし、ロリータことドロレス・ヘイズの母親役を演じているシェリー・ウィンタースも本当に素晴らしい。もちろんハンバート教授(ジェームズ・メイスン)の「恋敵」であるクレア・クィルティ役を、『博士の異常な愛情(1964)』で一人3役で演じ分けたピーター・セラーズが、やはり分裂的な多重人格(?)を怪演しているのも見逃すことはできない(彼は生っ粋のイギリス人のはずなのに、『ロリータ』の中でゼンフ博士に化けて演じてみせるドイツ語訛りの英語は絶妙だ!)。さらに映画は、ダラダラした小説の部分を一掃した、緩急にメリハリを付けた非常に小気味のよい展開をする上に、ギャグも満載だ。そして、本来のストーリーが、非常に切なく痛々しいモノなだけに、この大量のギャグがその切なさをいっそう強めている。 実は僕は、個人的にはセンセーショナルな『時計仕掛けのオレンジ(1971)』なんかよりも、『ロリータ』の方が映画としては断然好きだ。『時計仕掛けのオレンジ』では、狂気がことさらに誇張表現されていて、僕に言わせると、世の中に結構いるこの映画に惹かれる人達って言うのは、基本的には、本人がこの種の狂気と無縁なんだろうな(だから「想像的に」それらの狂気と同一化できるこの映画をいいと思うんだろうな)と思ってしまう。この種の狂気に対して、もし少しでも馴染みがあるのなら、こんな描かれ方は絶対に好まないはずだから。 一方の『ロリータ』も、明らかに狂人(=少女に対してよからぬ思いを馳せる)を描いている映画のはずなのに、それっぽさは微塵もない。狂人に見えるのは、ハンバート教授よりもむしろ、その「恋敵」のクレア・クィルティのほうだ。少女に恋をし、それに溺れてしまうハンバート教授は、いわば「躓く人」であり、一方のクィルティは根源的な悪人である(=少女に恋をすることに対して一切の疑いを抱いていない)。 女性がこの映画を観た場合にどう感ずるかは僕には分からないけれど、男性なら、あなたが同性愛者でさえなければ、仮にあなたが少女を偏愛するその種の傾向を持っていない人物であったとしてもなお、この映画を観れば、必ず身につまされるような思いを抱くはずだ。それは少女に限らず、女という存在の不明さ、崇高な次元と俗悪な現実が、まったく途切れることなく、ない交ぜになったまま同時に存在する状態を愛おしみ、かつ忌み嫌うようなメンタリティに由来する。そういうものが男性を捕らえ、惑わせ、悩ませる。自分が女を支配しているような気分を味わいつつ、一方で、女に翻弄され、いいようにあしらわれ、かつコントロールされることを無意識下では望んでいる、というような。 ただし女性が観た場合でも、注意深い人なら同じように身につまされることだろう。というのも、ヒロインのロリータとその母親のシャーロットとは、実際には同じ女の別々の側面であり、一方はもてはやされるが、他方は忌み嫌われる。しかしこれらはまったく地続きのものであり、少女性とオバサン性とは、単にその特性をあらわにする主体の年齢(あるいは状況)の違いに過ぎないから。つまり「少女っぽさ」と「オバサンっぽさ」とは、単に年齢の違いだけでそう呼び分けられるのであり、本質的にはまったく同質の傾向である。これをデイヴィッド・リンチも『ワイルド・アット・ハート(1990)』において、ルーラとその母親マリエッタとに分けて、それぞれ誇張して表現したし、つい最近に書いた『マルホランド・ドライブ(2001)』では、それら少女性とオバサン性が交錯する中間的な世代を表現している。少女はオバサンを殺す。 | |
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592:ジェームズ・タレル Date: 2002-01-18 (Fri) 今日はやることもないので、昼間っから、近所の構成主義美術館でやっているジェームズ・タレルの個展を見に行った。いちいち作品のタイトルを覚えていないのだけど、以前に日本でも公開されたはずの、暗い部屋の中でグリーンの長方形が浮かび上がるインスタレーションなども含め、この種のインタラクティブ(?)なインスタレーションが沢山。 たぶん新作だと思しき、ほとんど完全な真っ暗闇のインスタレーションがあって、これは入場制限が加えられており、一度に2人づつしか入れない。その場で入場時間の予約をし、自分の時間になったら戻ってきて入れてもらってじっと座っているだけなので、なんだか病院に診察を受けに来ているような気にすらなる。実際に許されている滞在時間がわずか15分しかなく、それに対してこの作品が提示している効果が、他の作品に比べていっそう微妙なため、暗闇に目が慣れてきた頃にはもう退場しなきゃならないのでちょっとバカみたい。他に、館内に入ってすぐにある、入場制限こそないが、赤い長方形が反射しているようなトリックを見せる暗室でも、入場した皆がじっと黙ったまま座って数分間すごすだけなので、なんとなくサウナにでも入っているような気に(部屋が微妙に赤く染まっているので余計にそう感じる)。 タレルのような、オブジェクトと非オブジェクトの中間的な作品として僕がすぐに思い出すのはアニッシュ・カプーアによる床に作られた穴のインスタレーションなのだけれど、個人的にはカプーアのインスタレーションのほうが断然魅力的だ。何故なら、カプーアのインスタレーションには、タレルのインスタレーションで必ず必要とされるような、もったいぶった「暗室」だの、上述のような入場制限なんかはまったく必要ない上に、特殊な照明すらも必要とされず、それ(=穴)はただそこにある。しかも効果は絶大で、その穴のどうしようもない深みの無さ(あるいは計測しがたい深さ)は、そこで現にそれを見ている者を戸惑わせ、たじろがせる。 カプーアとタレルは、基本的に同じことをやろうとしているように思えるのだけれど、実際の作品における具体的な決定方法がまったく逆だ。というのも、タレルは人々をいったん闇の部屋へ招き入れ、それから微妙な光が構築するヴィジョンを我々に与えようとするが、カプーアは、どこのギャラリーにでも存在するありきたりの白い光のまっただ中において、真の闇を我々に見せようとする。光の場が、二人の作家において完全に逆転している。面白いんだけれども、それでも僕にはタレルの仕事は、どうしてもビックリ・ハウスの延長に思えて仕方がない。 その後、ETHZ の前半期ディプロマ学生の作品展を見に行った。過去に自分が教えた学生達も多数出品していたのだけれど、自分の元教え子の作品が、もっとも印象に残った作品の一つだった、ってのは何となく気分がいい。ただしプレゼンテーションがもう一つパンチに欠けていて、それを本人に言うべきかどうか迷っている次第。他に、僕が知らない学生の作品で、おっそろしくマッシブなコンクリートのカタマリをエグって作ったような建築の案があり、これは強烈に印象に残った。模型もすごい作り方をしていて、この量塊性を表現するためか、1/33 くらいのスケールの模型を作るのに、建物を細かく水平にスライスしたものを厚さ2mmくらいの厚紙で作り、それを実際に積み重ねて作っているようだった。凄まじい量の仕事だと思う。精度も抜群の仕事だった(しかしおそらくスイスのムードの中では、このような案は「コンサバティブで退屈なもの」と見なされるんじゃないかと思う)。 夜には再び昨日に続けて『マルホランド・ドライブ』を観に行った。すでにして二度目なので非常によく理解できた気がした。やっぱり冒頭のダンス・シーンは意味不明。 | |
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591:マルホランド・ドライブ Date: 2002-01-17 (Thu) .....というワケでさっそく『マルホランド・ドライブ(2001)』を観に行って来た。かなり以前に試写会を観に行ったという50が書いている様子だと、日本でもちょうど公開が始まったばかりみたいなのであまりネタバレなことは書けないけれど、この映画を観てしまうと、『ロスト・ハイウェイ(1997)』なんかは、まだまだぜんぜん図式的にきちんと整理されていたんだな、ということがよく分かる。ま、初めて観たときから『ロスト・ハイウェイ』は個人的には明解だったんだけど。とにかく『マルホランド・ドライブ』はかなりよく出来ている。 ヒトコトで説明してしまうとこんな感じ。 少女が自分の中に棲んでいる「女」の存在に気付き、それに対する自己嫌悪を抱くに留まらず、それに恐怖し、おののき、それを飼い馴らそうとし、あるいは殺そうとする。つまり人間(=少女)が自分の中の生物(=女)におののく。オープニングの異常に平面的なダンス・シーンだけは意味不明。 実は、ちょっと前に、リンチ・ファンにすらあまり評判のよくなかった『ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間(1992)』の中古 DVD を買って観たんだけど、どういうわけか、おっそろしく良く理解出来た(気がした)上に、とてもいい映画に思えてしまった。かなり以前にもチョロッと書いたけど、初めて観たときから、この映画の中の、あるシークエンス(失踪したことになっているデビッド・ボウイがいきなりやってきて、ワケのわからないことを叫んで、そんでまた、そのまま消えて行くシーン.....でも監視カメラには彼の姿がはっきりと写っている!)だけは、そのサウンド・トラックも含めて異様に美しいと思えてキョーレツに記憶に焼き付いていたんだけど、全体としては散漫な印象が拭えないでいた、というのが正直なトコロ。ところが、ついこの前 DVD で観たら、何故かものすごく明晰に理解出来た(気がした)のです。 一つはっきり言えることは、デイヴィッド・リンチの作品では、フラッシュ・バック(映画的には、瞬間的に記憶が蘇る主観的な状況を表現する方法)はあまり使われない上に、映画全体の客観的な時間が戻ったりすることはまずない、ということ(ベルトルッチなんかはこれをバンバンやるので、映画全体の中の時間軸はバラバラに切り刻まれている。タランティーノの作品も同じで、こちらはそのスパンが非常に短く、かつ、輻輳しているのが特徴)。 リンチの場合、個人の内部で短期的かつ瞬発的に生ずる過去への遡及(=フラッシュ・バック)は、そのフラッシュ・バックそれ自体が「現在」起こっていることがらとして表現されることが多い。で「客観的に」はその表現のほうが「正しい」ことは間違いない。これは、先日書いた『メメント』が、方法的にそれを拡張しようとしていることの対極にある。 ## いわゆる「回想」と「フラッシュ・バック」は別ものだという理解で書いているつもりです。 .....とか言いながら、実はまさに今日、現実の自分の身にちょっとした(いやデッカイ)異変があって、その直後に観る映画として『マルホランド・ドライブ』はかなりキテたということだけは間違いない。実生活に対する現実感覚の無さが僕の気分を支配するようになって以来、もうかれこれ10年以上も経つのだけど、今日の気分は今のトコロそのシュールさの極みかもしれない。あるいは、あまりに現実的すぎて、たんにまだそれをマトモに受け入れることが出来ない、というだけのことかもしれないが。 関係ないけど、この映画(『マルホランド・ドライブ』)には、あまり知られていない魅力的な女優(僕が知らないだけかも)がポンポン出て来る。たぶん少なくとも一人は好みのタイプがいるはず。要するによりどりみどり状態。あとリンチの場合、前から気になっているんだけど、独特の時代感覚の「無さ」がすごいのだけど、この映画も現在なんだろうとは思うんだけど、いつの時代か全然わからない。 たぶんまた明日も再び観に行くと思う.....。 公式サイトは以下。 http://www.mulholland-drive.com/ 予告編がそれぞれの接続速度ごとに以下にある。 | Modem | Cable | Broad Band | | |
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590:昨日の話 Date: 2002-01-17 (Thu) 昨日はとつぜん隈研吾が大学にやって来て、朝からちょっとしたレクチュアをやった。ここでも時々書いてる gta の Moravansky 教授が、授業の一環として呼んだらしい。というワケで、事前の告知はほとんどなく、かなり地味なレクチュアだった。僕も直前までまったく知らなかった。 夕方にはなんとピーター・スミッソンのレクチュアがあった。80を目前にされても肉体的にはけっこうカクシャクとしておられた。記憶力とか思考速度に少しばかり問題を抱えておられるようで、講演中に何度か「あれ?オレ今なんて言おうとしたのかな?」とか「う〜〜〜、どうしてもコトバが出てこねぇ〜〜ぞ」などと言っておられた。しかしこれはまったく年齢的なものだと思う。というのも、講演後の歓談会では楽しそうに話しておられたし、しかも、僕が前に教えていた学生なんかがその場で本を買って彼にサインをねだると「自分の名前を書いときゃいいじゃん」などと余裕のギャグも飛ばしていたので。 で、ホントは昨日はボスに自分の仕事をプレゼンテーションをする2度目の日だったのだが、そんなこんなで流れてしまい、今日の夕方にやんなきゃいけなくなった。しかし今日という日は、ここ数ヶ月の間ずっと心待ちにしていた『マルホランド・ドライブ(2001)』がついにチューリヒで公開される初日であり、とても仕事気分になれなくて困っているのである。 | |
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589:Swissbau Date: 2002-01-09 (Wed) 今年もまもなく Swissbau がバーゼルで開催される。Swissbau とは、スイス最大の建築見本市のことで、各種メーカーやゼネコンなど、建築業に関連するあらゆる会社が参加するらしい。 「らしい」というのは、去年行ってないために、実情をよく知らないからで、というのも、学校に勤務している者に言わせると、開催のタイミングが非常に悪いのだ。というのも、上のリンクを見てもらうとすぐ分かると思うけれど、今年の開催期間も1月22日から1月26日となっていて、つまり1月の後半で、これは学生達の後期の最終講評を直後に控えているタイミングであり、こっちも気楽にそんなところへ行ってられない、というタイミングでもある。もちろん「行くことができない」という意味じゃなくて、「行ってる気になれない」という意味だけど。 というわけで、去年は行ってられなかったのだけど、今年は足を運んでみようかと思ってる。まぁ状況次第なのでまだ分からないのだけど。 これに並行して行われる A2B というイベントでは、シンポジウムだの何だのかんだのが沢山企画されている。 | |
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588:珍訳・迷訳 Date: 2002-01-08 (Tue) インフォシークにも英文と和文を相互に翻訳してくれるサービスができたんだけど、使っている内に、実に面白いことを発見した。 この種の機械翻訳って、思ったよりは意外にちゃんと訳してくれて感心することもたまにはあるんだけど、それでもやっぱりヘンテコリンな訳こそが彼等の得意技であることに変わりはない。 しかし何故か分からないがデイヴィッド・リンチとかデニス・ホッパーとかイザベラ・ロッセリーニとか、あるいはアルフレッド・ヒッチコックとかグレース・ケリーとかケーリー・グラントとかポール・トーマス・アンダーソンとかジュリアン・ムーアとかトム・クルーズとか、そういう人名なんかを「英訳」させてみると、これが案外正しく「翻訳」してくれるのだ。 この種のサービスのバックグラウンドには、そりゃあ膨大な語彙データベースが控えてるんだろうし、その中にはこの種の固有名詞を扱う人名辞典もリストされているのかもしれないけれど、カイル・マクラクランとかパトリシア・アークエットあたりまでちゃんと「訳」してくれたのにはホントに驚いた(ヘザー・グラハムとペネロペ・クルズはダメだった)。 笑えたのはアーノルド・シュワルツェネッガーとポール・バーホーベン。ちゃんと「訳」してくれて偉いんだけど、彼等の名前って、どう考えても「英語」じゃないと思うんだけど。 | |
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587:仕事始め Date: 2002-01-07 (Mon) 今朝、自分の勤務するオフィスから眺めた Hoenggerberg の風景。 ひぇ〜〜、寒そ〜〜! ところでさっきスティーブ・ジョブスのライブを観てた(と言っても画像はほとんど途切れてたけど)んだけど、新型 iMac を観て思い出したのは Pixer のマスコット(?)になってるライト・スタンド君。ウェブ・サイトのアニメーションで見せている首の振り方なんかがちょっと似てます。この新型 iMac なんだけど、ベースの部分がもうちょっと小さいと愛嬌あるかな?とも思うんだけど、ちょっとデカイっすね。 で、さっそく iPhoto とかいうヤツをダウンロードして使ってみたのですが、僕にはあんまり関係なさそうなアプリケーションでした(笑)。 それはともかくやっとこさはっきり理解したこと。Apple Computer って、要するに「ぜんぜん関係ないこと」をやってる会社で、やろうとしてる会社なんですな。今日のライブでようやくすっきりしました。つまり素直に好きになった(笑)。 | |
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586:おまけ Date: 2002-01-06 (Sun) 下の記事を書いてる途中でこんなのを見つけた。参考までにどうぞ。 イタリアワインデータベース | |
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585:ローマの休日 Date: 2002-01-06 (Sun) 年末も押し迫った土壇場に相棒が年末年始に休暇で飛んで来ることになり、ローマで会うことにしたので短い間(12月29日から1月2日の4泊5日)だけど行って来た。ローマって実は初めて。いつも西沢君(弟の方)が「一番好きな都市はローマかなぁ」と言っていたので前々から一度は行ってみたいと思っていたんだけども。ローマにした理由は他に、旅行者にはチューリヒは退屈な街だろうと思ったこと、イタリア方面ならメシがウマそうと思ったこと、あまりの滑り込みで、他に選べる場所もなかった、ってのが理由のほとんど。 ヨーロッパ内でのホテルの予約にはこのサイトが便利です。特にイタリア国内はかなり充実してるように思う。ホテルだけじゃなくてアパートやペンション(=民宿)なんかもリストされており、好みでそういうのも借りれる。今回は短期間なんだけど旧市街の中心地(Centro Storico)にアパートを借りてみた。実際に借りたのは、掲載されてる写真が違う部屋のものだけどこの物件。ホテルなんかに比べて格段に安くて部屋も広く(メゾネットだった)、いちいちフロントを通して部屋に入らなくて良いので自分の家のように利用できるのでとても良かったっす。相棒の予定があまりの土壇場で決定したために、むしろ僕が彼女に時間を合わせた列車を確保するのに苦労したくらい。チューリヒからローマまで、ミラノでの乗り換えが一回で、合計9時間半ほどの道のり。 ところで僕は列車の食堂で食事をするのがワリと好きで、街中の普通の店に比べて割高な上に特別に美味しいメニューにありつけるワケでもないのだけど、何というか、ちょっと時代錯誤的なイマドキ流行らない感じ(『バルカン超特急』とか『見知らぬ乗客』とか『北北西に進路を取れ』とかね)がすることと、ゆったりした気分を味わえる点が好きだから。それにイタリア方面の列車の食堂メニューはまぁまぁ美味しいし。今回のメニューはポルチーニのタリアテッレ(又はトマトとバジルのタリアテッレ)がプリモで、セコンドは豚肉のトマト煮(又は塩茹で豚肉)+ブロッコリとジャガイモの付け合わせ、それにドルチにケーキ(又はチーズ)のコース。最初のスプマンテはサービスで付く。これにビールを1本と最後のコーヒーを1杯注文して3,200円くらい。まぁちょっとしたゼータク。 ローマ駅に到着し、そのまま相棒を拾いに空港まで直行するんだけど、これがちょっと一苦労した。まず駅はおそろしく案内がわかりづらい上にむちゃくちゃにデカイ。しかも切符はタバコ屋で買う(そんなの聞かなきゃ分からない)。さらに空港行きの列車が出るホームはおっそろしく離れたところにあって、ちょうど東京駅で京葉線に乗り換えるときみたいな気分を味わった。さらにさらに、空港行きの、時間的にはクリティカルなはずの列車ですら、ヘーキで遅れます。ローマに行く人や、ローマ駅から空港に向かう人は注意しましょう。 無事、空港で相棒と会い、ローマ駅に戻り、予約したアパートへ行こうと思うけれども、これがまた難。バスの乗り場 etc.もむちゃくちゃわかりづらいんです。しかも駅前のターミナルもおっそろしく広い(上海並み?)。 ま、そんなこんなで何とかアパートに到着。が、鍵をくれるはずの係のネーちゃん、いつまで経っても現れません。んなアホな。ま、偶然家主が出て来たので助かったけど。 すっかり日も暮れて真っ暗なので、荷物を部屋に置き、とりあえず初日の食事は近場で済まそうといい、近くの広場(Campo dei Fiori)に並ぶ店先を見て決める。んで、たまたま入った店で僕はローマってことでモッツァレラのニョッキとトリッパのローマ風煮込み(トリッパってのは牛の胃袋だと思う)を注文。相棒が何を頼んだのかはちょっと忘れた。が、このニョッキが恐ろしくウマくてイキナリ感動してしまった。ニョッキ大好きのキクチョコには自慢しないといけない(笑)。スイスで食べれるニョッキなんかメじゃない。っつーか、ニョッキなんて別に大した食べ物じゃないはずなんだけど、とろけるほどウマかった。 翌日の日中は Folo Romano (古代遺跡が集中しているゾーンでコロッセオもこの一角にある)を主に市内を二人でうろついたのでした。午前中にパンテオンにも行ったけど、とにかく建築物のカタマリ感が凄かったっす。丸橋浩なんかは狂喜乱舞しそうな街です。写真も数枚は撮ったのだけれど、あの物質感はどうも写真にしづらいものがあります。とにかく歩けば遺跡に当たるという、信じられない場所ですな。 さて、以前に何度か書いたことのある、映画作家のダニエレ・ルンギーニ君がたしかローマの出身のはずで、彼は奥さん+子供とレッジオ・エミリアに住んでいるんだけど、年末年始のようなときには、イタリア人ってのはきっと大家族で集まるためにローマに来ているに違いないと思ってたのだけど、こっちのスケジュールが土壇場で決まったため、前日に携帯電話からメッセージを入れてみたらアタリ(笑)。ってワケで30日の夜に会うことになり、彼等の友人の家に呼ばれて夕食を一緒にしたのでした。そしたらカラスミ(だと思う.....bottargaってカラスミですよね?手持ちの辞書に載ってない.....)のパスタが出され、二人で(いやみんなで)大喜び。カラスミもチマチマ使うんじゃなくて、すでにカラスミが和えられているパスタの上に直接おろし金で豪快にガリガリとスリおろすというゼータクです。これを食べながら、ダニエレの奥さんのカオリさん(前に書いた通り日本人)と僕ら二人を合わせた3人の日本人は、日本人の発明とされる明太子パスタってのも、絶対にイタリア人にウケるだろうという意見で一致(個人的には辛子明太子を使ったモノが好き)。 余談だけど、彼の住んでいるレッジオ・エミリアという街はエミリア・ロマーニア州の真ん中辺りにあるんだけど、この州は世界的にも名の知られている有名なイタリア食材のメッカです。一番大きな街はボローニアかな?キクチョコもお気に入りのバルサミコ酢ってのは、このレッジオ・エミリアと東隣のモデナという街でだけ作られているのだそう。また、生ハムで有名なパルマは西隣の街。さらに、パルミジャーノ・レッジアーノと言えば、まさにこの地域の名を冠したチーズ。それにしてもリンクだらけですな(笑)。っていうか、ほとんどどんなモノにでも公式サイトがあるってのは偉い。ヨーロッパってそうなんだよなぁ.....URLが分からなくても、勘で打ち込んでも当たることが多い。 大晦日はバチカンに行ったり、やっぱり街中をウロウロ。で、この日もやっぱり大満足の食事にありついた。場所は Corso Vittorio Emanuele という、旧市街(Centro Storico)を東西に貫く大通りに面する比較的分かりやすい場所にある Nonna Giovanna という店。ウェブで探しても出て来ないので、案外大したことない店なのかもしれないし、あるいはその逆かもしれない。でもとにかく満員で、僕らは大満足してしまったのでした。結局アンティパストからドルチまで、ゆっくり2時間以上もかけてフルコースを摂り、ここまで行ったら最後はやっぱグラッパで締めにゃイカンでしょ、と思って頼んだら、店主が自らグラッパのボトルを3〜4本もテーブルに持って来てくれ、「どれでも好きなだけ飲んでくれ」とサービスしてくれました。とにかくヤマカンで感じの良さそうな店だったので、最初っからちょっと張り込み気味だったんだけれど、何が良かったかたって、頼んだワインも僕好みのフルボディで深みのあるもので大正解だった(名前とか忘れた.....メモしてくるんだった)し、それよりも、何故か、普段から好きでしょっちゅう食べてるパルマの生ハムをアンティパストに頼んだのだけどが、これがおっそろしく滑らかで香り高い物だったのだ(やっぱ生ハムにも等級ってあるんだろか?)。また、相棒がアンティパストにとったアボガドとエビをアレンジしたものは目からウロコの感動的な一品だったのです。さらにプリモに取ったラグーのパスタも激烈にウマくて、セコンドに取ったエビと肉も格段にウマかったのです。何より、接客がすんばらしくて、若い奇麗メのオネーちゃんが給仕してくれるってのも悪くはないんだけど、基本的には中年以上のキチッとした紳士が接客してくれるのが一番好きなのです。で、この店では、まるで大学の文学部の教授みたいな風貌の着こなしも身なりもいい「おじさま」が接客してくれたのでありました。プレゼンっちゅうのは重要なんですな。チップ込みで締めて200000リラ(=12000円くらい)を支払い、これって決して「安い」とは言えないと思うんだけど、すんばらしい料理にゆったりした時間、ワインも後で気付いたんだけどかなりいいヤツを頼んじゃってたし、なんせグラッパ飲み放題(笑)も含めた行き届いたサービスだったので全然損した感じがしなかったっす。 夜は新年のカウント・ダウンのために Piazza del Popolo へ出かけたんだけど、すさまじい人混み+ビールとかシャンパンの雨霰、それにチューリヒでは絶対に見れないほど激しい対空砲火.....じゃなくて花火でした。とにかくイタリア人がフーリガンだってのはよく分かりました。日付けが変わって新年になったこの直後から、銀行のATMではEUROが引き出せるようになっていて、ATMでお金を引き出している人々を、新聞社のカメラマン達がバシャバシャ写真を撮っていました。ってワケで、初ユーロも体験。 年が明けて元旦。行って来ました EUR。チョー寂しい街でした。ま、元旦だから、ってのもあるだろうけど、それよかそもそもかなぁ〜りサムイところのような気がしました。こういうマトメ方もアレですが、近代建築ってのはダメっすね。なんつーか、ローマの古代遺跡のようなものをお腹いっぱい観た後に観てはイケナイ。おそろしく貧しく退屈です。っつーか、加藤君達が鵜沢研で作ったCGで観る方が俯瞰も観れたりする分だけいいんじゃないかってほど、ホンモノ自体が CG っぽくニセモノくさいです。んでまぁ、そういう写真を載っけてもどうせつまんないのでちょっとヘンな写真を一点だけ。マトリックス風自画像ってことで(汗)。でも同じ近代建築でもコルビュジエとかミース、あるいは同じイタリア勢でもテラーニなんかは色っぽいけどなぁ.....。 帰りは帰りでかなり大変だった。相棒をローマの空港まで送って別れた後、予定の列車より一本前の列車に乗れればいいかなと思って窓口前の列に並んでみるも、窓口に辿り着くまでに1時間10分ほどもかかるという、まるで上海駅状態。で、その列車にはとりあえず間に合わず、作戦を切り替えて、自分の予定の列車に空席がないか(あれば予約)を聞いてみることに。しかしこの質疑応答は約3秒で終了。3秒のために1時間10分も並んで、しかも獲物は0。ま、あらかじめ自分の席が無いことは知っていたので、覚悟してミラノ行きに乗ると、この列車がまたしても中国の列車状態。すべてのコンパートメントが満席+通路は歩けないほどの荷物と人(僕もその一人)。 そもそもローマからの出発が1時間以上も遅れ、かつ、ミラノへの到着も合計2時間以上遅れたため、当然のごとくチューリヒへの乗り継ぎ列車はなく、駅員とこの処置について交渉することに。結局、イタリアの鉄道会社が、翌日のチューリヒ行き列車と、一晩のホテルを確保してくれて、イタリアの鉄道会社にしちゃあ、ちゃんとしてるなぁと感心したのでした。 ローマからの帰りの列車での旅の途中、アムステルダム・スキポール空港から相棒が僕の携帯に電話をかけて来たのだけど、僕だけじゃ無く、なんと彼女もローマから飛んだアムステルダム行きの便が思いっきり遅れたらしい。で、スキポールに到着したときには成田行きはすでに出ちゃってたのだとか。一応振り替え便は用意してくれたらしいけれど、ホテル代は払ってくれなかったそうだ。ひどいぞKLM(→オランダの航空会社はイタリアの鉄道会社に接客態度で負けてるということを自覚した方がいいと思う)。 そんなこんなで、ドタバタだったワリにはのんびりとローマでの年末年始を楽しんで来ました。そもそも僕としては建築とか街見物は目的としては二の次三の次であって、最初っから相棒に会うのと美味しい物を堪能するのが目的だったので、上記のように十分すぎるほど味わってきたのであります。食通に言わせればローマは本場じゃないらしいけどね。 はー。ちょっと長かった。もうちょっとコンパクトに書く方法を学ばないと。 | |
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