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208Aの内田くん
Date: 2003-01-29 (Wed)

まずは、このサイトを見て欲しい。

http://www.nk.rim.or.jp/~uchi/nenga/al.html

Aには、いろんな人が関わっていて、建築分野ばかりに人では、もちろんない。
この短いイラストは、Aのスタッフの内田くん(31、彼女募集中!)が年賀状のために描いた小作である。
Aのやつは、もちろん僕も含め、こういった何の役にも立たないことを考えるのがどうも好きのようだ。

彼はもちろん建築家ではないし、この業界で育ったわけでもないが、Aの編集をしながら、どうもこの独特の職能を静かに眺めている。

ちなみに、この小作に出てくる犬築家、アルとは、Aのデザイナー八木が買っているフレンチブルである。彼は自分を建築家とは思っていないかもしれないが、少なくとも人間であるとは思っている。

http://www.nk.rim.or.jp/~uchi/nenga/al.html


207渋谷の渋いバー
Date: 2003-01-05 (Sun)

カタカナでバーと書くほうが、きっと似合う。
道玄坂の中程にある小道をスルスルと入っていくと、時間が止まったようなバーがある。
『広告』の編集長の嶋さんに連れていってもらった。グダーッとした空気が流れている。
しわがれた声のおばちゃんが嶋さんに「あれ、また来たの」と声を掛けている。
赤いプラスチックのテレビには画像が映ってはいるけれど、なにが映っているのかわからないくらい荒れていて、およそテレビの意味をなしていない。でも、ずっとつけっぱなしになっている。
置いてあるウイスキーは「サントリー角」だけ。微妙にアルコール臭いその酒のロックは、とてもなつかしいい味がする。確か高校生のときよく飲んでいた。となりの常連らしきおじさん(というより、おじいいさんと表現したほうが適切かもしれない)は、ビールにトマトジュースを混ぜて飲んでいる。ここは20年くらい前からなあんにも変わっていないんじゃないだろうか。
奥に梯子のような細く急な階段が見える。耳をすませば、そこから声が聞こえるような気もする。登ってみると実は2階があって、その小部屋には人がいた。狭い空間に難民のように膝を抱えた酔っぱらいたちが10人くらいいて、和やかにボソボソと話していた。
夢を見ているようなバーだった。どのくらいの時間くらいいたのかはよく覚えていないが、出るときはもう朝が近づいていた。店の名前、なんだっけ?
明日、同じ場所に行ったとしても果たしてこのバーがちゃんとあるのか疑わしい。注文の多い料理店のように忽然となくなってしまっている気がした。
道玄坂といえばホテル街のイメージが強いけれど、その間には古い民家やら神社やら、深夜まで空いている木造の薬屋やら、不思議な隙間がたくさんある。冷たい空気のなか肩をすぼめながらその隙間を迷うように縫って歩く。
ぼんやりした正月も終わりだなあ。


206サンライズホテル
Date: 2003-01-04 (Sat)

あまりに寒くて、ふらりと沖縄に飛んだ。
コザにある、サンライズホテルという日が昇る東が見えない定宿に投宿。ここがまたおかしなホテルである。

ある日着いて荷物を降ろして缶ビールのリングプルをプシュッ引っ張っているところに突然電話がかかってきた。僕がこのホテルに泊まっている人が誰もいないはずだった。
受話器を上げてみると、フロントからだ。
「ちょっとお願いがあるんですが?」
「はあ?」という感じだったがとにかく降りていくことにした。いつもフロントにいる恰幅のいい白いシーサーのような顔をしたおばさんが「あの、このコンピューターをインターネットっていうやつにつないでもらえんかな?」と、突然切り出した。なぜ、僕がそんなことをしなければいけないのか、そしてなぜ僕にインターネットつなぎの白羽の矢が立ったのか、その理由がまったくわからなかった。栄誉なことなのか、それともバカにされているのか?
「なぜ僕が?」
「なんとなく……めがねをかけてたし」
どうやら確固たる理由はないらしい。眼鏡をかけているからインターネットをつなげれるわけではないはずだ。まあいいや。とりあえず作業にとりかかった。
それから出張のたびにこのサンライズホテルに泊まっているけど、白いシーサー顔のおばさんは、僕をあのときの僕と知ってか知らずか。でも、とりあえずいつも人なつっこくて愛想がいい。
1階のロビーの奥にある小さなレストランは24時間営業で、いつもなにかを炒める料理のにおいが漂っている。インテリアがまか不思議で、インド風の象の置物や中国風の屏風がところせましと置いてある。かといって出る料理はカレーやゴーヤチャンプルーという街の定食屋と同じ。でも朝以外で客がそこにいる風景はほとんど見たことがない。
客室は基地の影が色濃く残っていて表記はなにかと英語、部屋とベッドは大きい。アジアの安宿みたいだ。エレベーターは途中までしかなく、上階には階段で登っていく。和室と洋室がワンルームにつながっている不気味な部屋もある。

なにからなにまで、アンバランスなホテル。
サンライズホテルなのに朝日は見えない。客に仕事をさせる。インテリアのチョイスもおかしい。
が、なんとなくそれが心地いいのだった。
そして沖縄っていうところは、そんなふうにいろんなことがアンバランスなところだ。





205忘年会
Date: 2002-12-7 (Fri)

事務所で忘年会。
P3と合同で行った。
なぜ、P3と一緒になったか、その理由はよくわからないが、内田くん(事務所の編集者)とP3の津田さんがなんだか盛り上がって決まったらしい。
P3のみなさんとはリズムが合うので、とても心地いい。

今年の夏のAのクライマックスはデメーテルでの合宿。
厩舎での1週間はとても楽しかった。そこで取材した内容で、『A』をつくるはずが財政難に襲われなかなか出版ができないでいる、だから、実は芹沢さんに会わせる顔がなかったのだけど、状況を話すと芹沢さんは静かに許してくれている。

ひとしきり飲んで、P3事務所へ流れた。
『猟奇的な彼女』っていう韓国映画のパンフが置いてあって、それに僕が異常に惹かれていると、韓国映画通のマルさんが「それなら・・・」と、事務所の奥からお勧めビデオを持ってきてくれて、飲みながらみんあで観ることに。
すごい内容だった。
ソウルの小さな街でバラバラ殺人された女の子が、つなぎあわされて再生し、殺人鬼になるっていう内容で(なんだか、まったくわからないと思うが)、とにかくスゴかった。描写がグロテスク、しかもいろいろな映画のパロディなのかパクリなのかよくわからない映像がふんだんに散りばめられている。もうすぐ劇場公開。
韓国映画も、なんだか奥深い。

ちなみに『猟奇的な彼女』っていう韓国映画は猟奇的ではなく、かわいい女の子が主人公の平和な映画です。マルさん、猟奇的ってそういう意味じゃなかったんだけど。

楽しい夜だった。


204チャンキロー
Date: 2002-12-25 (Wed)

南青山のチャンキンローという中華料理屋でミーティングをしながら夕食をとった。IDEEが新しくつくった店だ。

そこに併設されるBarにミヤのバーテン姿も見に立ち寄った。
おそらくガレージであったであろう場所に、ガシッとガラスを入れてBarにしている。IDEEらしいシンプルで乱暴なしつらえで、僕はけっこう好きだ。どうやってつくってるのか、とてもわかりやすい工作感覚溢れる空間だ。

幸い、お客は少なくゆっくりすることができた。
とても香りがいいバーボンを出してくれた。
最近、barで飲む時間がなくて、ハードリカーを飲むのは久しぶりな気がする。
鼓弓っていうんだっけ? 独特の弦楽器の音楽が流れていて心地いい。あっという間に酔いが回る。こういう時間も必要だよなあ。
何を話したのかよく覚えてはいないが、後半は客がいなくなったのでミヤがひとしきり話し相手になってくれた。

今年も終わりだなあ、という気分になってきた。






203恒例の明石家サンタ
Date: 2002-12-24 (Tue)

今年も、なにもないイブだった。
夜、部屋に戻ってTVのスイッチをつけると、フジテレビで明石家サンタをやっていた。昨年も、その前の年、その前の前の年の24日を、ちゃんと回想することができた。その記憶が、いやおうなしに、この日を静かに過ごし続けているという現実を僕に突きつける。
変わったことといえば、八木アナが今年、結婚したということくらいだ。37歳らしい。なんだか元気づけられる。

昼間は、石本建築と昭島のプロジェクト。
夕方は、ダイヤモンド社での打ち合わせ。来年3/8に、ダイヤモンド社が『Loop』という雑誌を創刊する。リノベーションをテーマにしたビジネス雑誌で、そこで小さな連載を持つことになった。
みかんぐみの竹内さんと、リビイングワールドの西村さんと持ち回る。R-projectから派生したものだ。「Re」のデザインが、どう経済やビジネスに作用しているか、そのケーススタディを手がかりに書いていく。




202この週・・・
Date: 2002-12-22 (Sun)

この週は主に沖縄の仕事の積算、予算対策の資料作成の地味な作業。
行政の仕事は、このあたりが本当に大変。行政の担当者も含めて、必死にやってくれているんだけど、とのかく手続きが面倒なことこの上ない。プロジェクトを進めるのに、どう考えても不必要で、手続きのためだけの書類を膨大につくらなければいけない。誰も必要としない書類を。
グチっぽくなってきた。

日本の行政システムが完全に組織疲労を起こしているのが実感できる。
作業をしながら僕らがつぶやくのは「システムを憎み人を憎まず」。
ややもすれば行政の人にグチりたくなるのだけど、でも行政の最前線に立つ彼らこそシステムの軋轢をもっともはげしく受ける場所にいるかもしれないから。

この沖縄の仕事も、関わり始めてもう3年以上経つ。最初は企画の手伝いをしていただけだったのに、気が付けば内装の設計、そしてプロダクトの設計。気が付けば沖縄に会社までつくって海辺の小さなアパートに事務所まで構えてしまってる。
ある意味、この沖縄でつくったworkshopwareという会社で、今もっともモノづくりの現場に触れているような気がする。家具の製作が建築と違うのは、ちょっとした丸みとか手触りなどが決定的な差異を生むということ。今までと違った目で物体を見ることができるようになってんじゃないかと思う。

2年くらい前、ソニーと一緒に仕事をして、「メーカー」という概念にとても興味を持った。そこは建築設計のような受注型、誰かに頼まれてモノをつくるものではなかった。提案型、今、世の中やみんなが必要としてるものは何なのだろうと考え、それを自らリスクと投資を負ってまずつくってみて、社会に問いかける、というものだった。
僕には、それがとても新鮮で、「なんていさぎのいいモノづくりなのだろうか!」と驚いた。売れなかったり、社会に受け入れられなかったりすると、それは丸ごと自分に跳ね返ってくる。それは雑誌も同じで、「僕は雑誌という形態のプロダクトをつくっていたんだなあ」と、時々思う。

というわけで、沖縄のプロダクトメーカー、まあ家具製作会社だけど、その作業は淡々と進んでいる。持ち出しばっかだから、来年はさすがに少しは儲けたいもんだ。



http://www.workshopware.com/


201マルサがやってきた
Date: 2002-12-12 (Thu)

世の中とは残酷なものだ。
昨日、ギャラリー間でミーティングをした後に、ほっとしながら事務所に戻ると、場所をシェアしている永山から、
「渋谷税務署からマルサみたいな人が来て、こんなものを置いていったぞ」
と言って一通の封筒を渡された。彼はとても楽しそうだった。
開封するとなかには赤い紙が折り畳んで入っていた。その内容が喜ばしいものではない、ということをこの瞬間に覚悟した。
・・・・・
その夜、僕は、涙に枕を濡らした。

まったく世の中とは恐ろしいものだ。
払ったお金に対して源泉税ってもんがかかるらしく、それを差し引かないで法人が個人に支払った場合、支払額の1〜2割を負担しなくてはならない、らしい。
確かに世の中では常識なのかもしれない。
しかし、独立した初年度の僕は、そんなことはよく知らなかった。
サラリーマンであれば永遠に知らなくてもいいことだった。

放っておけば、年末に一気に請求されてしまう。

取り立て屋に迫られるって、きっとこんな感じなんだろう。

今後独立をする人、気をつけてね。
正月は部屋のなかで背中を丸めながら過ごすことになりそうだ。


200
Date: 2002-12-09 (Mon)

雪が降り出した。


199非現実の王国で
Date: 2002-12-04 (Wed)

神宮前にミーティングに行った帰りにワタリウム美術館に寄ってみた。
「ヘンリー・ガーダー展」

最近見た展覧会のなかで、もっとも破壊力があったように思う。
17歳で知的障害の施設から脱走した作者(実際は彼は障害ではなかった)が、19歳から71歳まで、清掃員をしながら書き上げた、膨大な小説とスケッチ集が集められている。昼間は清掃員、そして夜になると創造力を爆発させ『非現実の王国』のなかで生きる。
作品を見るとわかるが、彼にとっては、僕らが生きるこの社会は現実ではなく、彼が描く王国のなかこそが現実そのものだったのがよくわかる。
とてつもなく複雑な世界で、1万数千枚に及ぶ原稿を全部把握することは困難と言われているようだが(なんせ、60年間、毎夜執筆されたものだ!)、しかし、確かにそこには一貫性と物語が潜んでいるようだ。

ワタリウムの森さんと立ち話で、ひきこもりの話になった。
もすかすると、この東京にもガーダーがいるかもしれない。
発見者が、シカゴ・バウハウスのアーティストだったからヘンリーの作品は社会に出ることになったが、普通は焼却炉に直行だろう。

彼は19世紀の初頭に存在したひきこもりの元祖のような人。そして、この内なる世界は個人差はあるにしろ、誰にもあるものだと思う。
ひきこもれない僕らは、それを摩耗させながら生きているのだが、現代にはその摩耗を避ける人々がたくさんいる。

正直、僕はどこかでヘンリーがうらやましかった。

ヘンリーの作品もまた、かわいい少女とグロテスクな描写が共存している。50年前に書き続けられたものも、宮崎勤やサカキバラに共通するトーンをやはり持っている。カトリックの古い絵画にも、同じようなモチーフがある。僕の妄想も、往々にしてそういったたぐいのもののような気がする。

その後、和多利さんと立ち話。
次のワタリウムの展覧会は、伊東忠太!
なんてマニアックな。今、日本でそれをやる根性のあるとこは、ここぐらいだろう。しかも、私立の美術館でだ。
話を聞いているうちに、伊東忠太のことを知りたくなった。
建築家であり、芸術家であり、冒険家であり、ジャーナリスト・・・謎に満ちた人物だ。


B1の書店、on sundaysへ。
「NIPPON」という戦時中の雑誌の復刻版を見せてもらう。
10万円近くする。
土門拳、亀倉雄策など、近代日本のデザイン、写真などが凝縮された雑誌で、これまたガーダー並の破壊力。
戦時中、日本はこんなメディアをつくって、世界に配布していたのか、脅かされる。

ぜひ、紙面だけで展覧会をどこかでやって欲しい! 
もう一回、ゆっくりみたい。
と望むのだった。
なんせ、10万円だから、普通の人には買えないよ。

濃い一日だった。


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